藤村修官房長官は11月25日の記者会見で、「女性宮家」の創設を今後の検討課題とする考えを明らかにした。その前の10月、宮内庁の羽毛田信吾長官は「女性皇族が多い現代では皇族の数が将来減り、皇族の安定的な活動を保持できなくなる」と表明した。
今、ここに来て「女性宮家」が急遽登場してきたのはなぜか。羽毛田氏は皇位の安定的継承のためというが、その奥に潜む狙いとは女性・女系天皇の容認であり、次は天皇制存在の是否に波及することを視野に入れた発言だと指摘する意見もある。彼らはこれら「女性宮家」の問題は天皇の戦争犯罪や国旗・国歌を否定する菅前首相らと連動する天皇制の断絶にあるとしている。
有識者会議の発足
これまで産経新聞が入手した極秘文書によると、小泉政権当時、小泉元首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が発足した。これは当時皇室に新たな男子皇位継承者が誕生していないことを理由に女性・女系容認の法案提出を前提とする非公式な「特別研究会」として検討されてきた。
皇位継承制度に関わる基礎資料の作成は平成8年から内閣法制局で進められていた。これは内閣官房の指示により内閣法制局が最終起草案を作成した。そして、平成16年皇室典範に関する「有識者会議」が発足。内閣官房主導で有識者を選出し、改正案成立を急いだ経緯は周知のことだ。
皇室典範の改正は内閣への法案提出が必要で、改正の起草案は内閣法制局が行うとされてきた。内閣法制局は宮内庁長官の任命権があり、法改正の最大の権限を持つ機関だ。しかし小泉政権時代の有識者会議で女性・女系天皇の容認に積極的に関与したのは内閣官房と宮内庁長官らとみられている。
有識者メンバーは全員天皇制廃止論者
「有識者会議」の中心メンバーは女性・女系天皇の容認派揃いで最初から決まっていた。座長の東京大学元総長・吉川弘之氏はかつて「民主青年同盟」という共産党の学生運動家であり、筋金入りの天皇制廃止論者だ。「皇族の話を聞くことは憲法違反だ」とまで語り、皇族を侮辱し、法案成立に向けた非常識な態度はかつてのゲバ棒時代を彷彿とさせたものだ。同じく天皇制廃止論者の前東京大学学長の佐々木敦氏も名を連ねた。
内閣官房、宮内庁、有識者メンバーらが天皇制を否定する立場にあるのは、これまでの動きから見て明らかだ。彼らが女性・女系天皇にこだわる最大の狙いは天皇家の純粋な血を変えることだ。「有識者会議」の目的とは、女性・女系天皇の誕生であり、皇統の断絶であるとの声も相次いでいる。
しかしながら、秋篠宮紀子妃の男児ご出産で、女性・女系天皇を容認する皇室典範改正は事実上見送りとなった。さらに男系男子保持派と目される安倍晋三首相の誕生で自然消滅に至った感がある。その後自民党衆議院議員の下村博文氏らが主導して新たな超党派議連が発足し、舞台は男系・男子護持派が盛り返した経緯もあった。
世界の皇帝と天皇の違い
ここであらためて、天皇の存在とは何かを語るべきだ。たとえば、西洋の皇帝といえば、ローマ皇帝であり、古代ローマでは、皇帝はインペラトールと言い、軍隊の最高指揮官であった。その時代の帝国元首として、ナポレオンもローマ皇帝の後継者として皇帝に任じられている。
中国では、モンゴルであれ満州族であれ、力で大陸を征したものが皇帝を称し得た。西洋では、ドイツやロシアの例に見る戦争の指揮官である皇帝自らが執り、敗れれば皇帝そのものが消滅した。
日本の天皇も世界では皇帝と呼ばれている。これまで欧米の皇帝と同じ権力を行使する独裁者と思われていた。筆者が40代の頃、ドイツの知人から天皇はなぜ大東亜戦争の総指揮官であるのに敗戦後の天皇制が消滅しないのかという問いがあった。筆者は皇帝には権力しかないが、天皇には権威しかなく、日本の権力は時の為政者にあると答えた。
天皇には権威があっても権力はない
欧米の皇帝は独裁専制主義であるが、日本の天皇は明治憲法で定められた立憲君主制である。立憲君主制の下では国務上の権限は国務大臣にあり、内閣に選任が委ねられている。それゆえ天皇は国政に対する執行権がない。
この問題について、昭和天皇が藤田尚徳侍従長に語られたことばを引用する。「私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何となるか分からないことになり、責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。これは明白に天皇が憲法を破壊するものである。専制君主国ならばいざ知らず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない」
わが国の天皇に権力はないので、時の権力者らが行使し、関与した。太平洋戦争時代も軍部や内閣が指揮したが、天皇は命令にはタッチできなかった。わが国の権威と権力との分離は奈良朝以前から始まり、欧米の皇帝制度とは全くその内容と質を異にするものである。
象徴としての天皇の権威
いつの世も政治的大混乱が生じると、権力者たちは国内の混乱を収束させるためにこの古い権威に頼らざるを得なかった。大改革を必要とした明治維新の際も同様である。大東亜戦争の敗戦宣言も戦争終結に向けて昭和天皇に終戦宣言を委ねる。
あらためて言えば、古代はともかく、平安朝以降、天皇が政治万端を取り仕切ることなく、皇室行事に専念した例は世界的にも極めて稀である。あくまで天皇は権威として君臨し、政治の実権はその時代の権力機構が受け持つことで、わが国の天皇制は長期的に存続した。
これはわが国天皇制による独自な構造的仕組みである。つまり、欧米の皇帝には権威と権力が分離するという発想がない。わが国の天皇制の存在がいかに合理的で固有の存在であるか、あらためて認識してもらいたい。
見当違いな保守系の皇族批判
1989年1月、昭和天皇が崩御され、これまで反天皇勢力が掲げてきた「天皇の戦争責任」のキャッチ
フレーズが使えない。それゆえ、平成以降、彼ら天皇制反対勢力のテーマは①女性天皇の即位②開かれた皇室③天皇への敬語・敬称の廃止をテーマにした。いずれも目指すところは皇統断絶への段階である。しかし、これらの勢力を批判すべき立場であるはずの保守系論客の一部は皇族が宮内庁官僚らによる執拗ないじめを受けている実態を指摘していない。のみならず、雅子妃殿下のご病気をなじる保守系学者らの存在は皇室の存在を危うくするものだ。天皇の存在とはわが国民の家族を代表するもので、歴史・伝統の象徴だと考えている。
時を同じくして保守系論者と目される学者が東宮妃(皇太子妃)を公然と批判する論文が掲載された。彼らは皇太子妃を執拗にいじめてもてあそび、その真実に触れることなく、病人を不適格者となじる不敬の輩であった。その前に恥ずべきは宮内庁官僚らの皇族いじめは苛酷だと聞いている。問題の皇太子発言は皇族の官僚に対する抵抗であり、その延長線上にあると見てよい。
女性・女系天皇の容認は、即ち神武天皇から続いた男系・男子の血統を自然消滅させるものだ。男系によるY染色体が2600年続いてきたから天皇家なのである。開かれた皇室は皇族がスキャンダルまみれの見せ物になる始まりだ。敬語・敬称廃止は天皇の権威を削ぎ取ることになる。女性・女系天皇の是非を問う世論調査では、女性天皇容認が80%を超えた時もあるが、天皇制の本質が国民に伝わっていないからだ。
女性宮家より旧皇族の復活だ
女性・女系天皇を容認する皇室典範改正は41年ぶりの男児誕生で事実上見送られた。しかし、筆者は今後も改正論議が起こると考えていた。ここにきて彼らの狙いは思いを同じくする民主党政権の間に実現したいとの動きが見え隠れする。
女性天皇容認を推進する有識者会議のメンバーが選任され改正草案が練られた経緯は先に述べたとおりである。しかし、保守系議員やメディアが皇族いじめにメスを入れ、世論に問う動きはなかった。
さらに、皇室の伝統である男系・男子を維持するには、戦後GHQの政策によって皇籍離脱させられた旧宮家の男系子孫を皇族に復帰させるという「切り札」もある。この方々が皇族に復帰もしくは養子となり、女性皇族と結婚するなど男系を維持する方法を具体化すればよい。本来は宮内庁がこうした問題を提案すべきである。今の宮内庁は百害あって一利なしと言われる所以だ。宮内庁の存続とは、将来の天皇制廃止を目的とする恐るべき存在であってほしくないと願う次第である。
日本の政治と文化の基本に関わる問題として改めて天皇制の在り方が問われている。これまで2600年脈々と続いてきた伝統の大樹をここで枯らしはならないと念ずる次第である。
次回は12月8日(木)