5月28日「アジア安保会議」講師/蒋 豊 『人民日報海外版日本月刊』編集長

2024年05月28日
  
『「戦略的な相互疑念」から真の「戦略的相互利益」へ:日中関係の進化』
 

 1972年に田中角栄総理(当時)が北京を訪問して周恩来国務院総理(当時)と国交正常化に関する協議を行い、日中共同声明を発表し、国交を結ぶことに成功。後年、田中角栄氏の長女・真紀子氏に取材したが、命がけの訪中であった。いまの日本に田中角栄ほどの気概、大局観を持った政治家はいないのではないか。

 1978年に鄧小平によって打ち出された改革開放政策は、政治面での開放は足りないとの批判はあったが、概ね日本でも違和感なく受け入れられた。以降、両国は関係強化、改善を模索するが、日中国交正常化50年以上を経ても両国間に信頼関係が醸成されているとは言い難い。日中関係は、青少年の交流をはじめ、常に中国側が主体的に動いてきた。岸田総理が日中関係改善に向け主体的に動く気配はない。これが日中関係の問題点ではないか。

 習近平政権の対日外交の特徴は、第一に対日関係を重視し、安倍元総理が打ち出した「戦略的互恵関係」に基づいた建設的・安定的な日中関係の構築を目指す路線を継承していることだ。習近平主席と安倍元総理は計8回会見。メディアは二人の厳しい顔を報道するが、カメラを離れるとにこやかに歓談しており、二人の間にはある種の友情が育まれていた。しかし、安倍政権以降、両国間にそのような絆は生まれていない。

 岸田総理は対中外交で「建設的、安定的に日中関係をつくりたい」と発言。習近平主席も「中日外交の重要性は変わらず、変わることもできない」と語っており、両国の関係はいい方向に向かっている。日本は中国と離れることはできず、相互依存の関係があることは間違いない。

 日米間では協議時に必ず中国の話題を出すが、中国が他国と協議する際に日本について話すことはない。日本は日米同盟下にあり、中米関係がよくない現在、中国と積極的に関係強化をするわけにはいかない事情もあるのだろう。

 日中国交正常化で北京に日本語学校ができたのを機に日本語の勉強を始めて来日し、日本在住36年になるという蒋豊氏。

 「日本を愛している。(同胞には)反日、親日よりも“知日”になってほしい」として、日中国交正常化の背景や日中親善の経緯について解説した。今後の両国関係については「日中は相互疑念の状態が続いているが、未来志向で関係改善、発展できる」と期待を述べた。