主張

「知・情・意」

私の好きな言葉に「知・情・意」という言葉がある。「知」とは、ヘッド(頭で物事を考える)のことで、知識とか知恵のことである。「情」とは、ハート(心で物事を考える)
のことであり、情(人情)とか感情性の強いタイプ、また物事を善悪で判断することである。「意」とは、意識のことであり、この「意」が「知」に偏るか「情」に偏るかという問題である。しかし、一番大切なことは、「知」と「情」のバランスがとれていることが肝要である。ところが、いまの世の中、「知」の頭 でっかちになり、「情」が尻つぼみになっていまいか。
たとえば、かつてオウム真理教事件があった。彼らは「知」で物事を考えたため、そこにイデオロギーが入り、人を殺しても平気ということになった。しかし、「情」で物事を考えれば、人を殺して
はならないとなるはずだ。
先日、ある政治家が「情」のある社会をつくらねばならないと語っていた。
言うまでもなく、いまの日本人は「情」が希薄になってしまった。というより、「情」と言えば、何だか胡散臭いような雰囲気があるようだ。今や人の身になって考える人が少なくなっている。これは「合理性」が世の中に蔓延ってしまったからなのか。何でも合理的に物事を考えれば良いというものではなかろう。
たとえば、飲食店に行っても、「心」で接する店員が少ない。確かにマニュアル通りに店員が従うのは当然であるが、「いらっしゃいませ」「何にしますか」「かしこまりました」と決まった文句を連呼するだけで、私としては「心」のこもった態度と言葉で接する人が少ないように感じる。サービス産業はその人ならではのちょっとした言葉遣い「心」のサービスが必要でないかと思えてならない。これは飲食店に限らず、いまの日本人そのものに当てはまることではなかろうか。
私は、先に述べた「情」のある社会をつくる必要があると思う。いまの若者に感じるように、親子で食事をしていても、子供たちが食事中スマホの画面をずっと見ているようでは、親子の会話が成り立つまい。
人の痛み、人の気持ちが分かる人間、思いやりのある人間を育てていかねば、これからの日本の未来はないと思う。利害打算で人を利用することばかり考える人間では世の中が行き詰まってしまおう。人さまのために何ができるか、社会のために何ができるか、そういった志をもつ人間が増えてほしいものだ。もちろん、それと同時に、「知」も磨いていかなければ、バランスのとれた人間とは言 えない。