主張

「『人格』なき指導者は尊敬に値しない」

 読書が好きでよく書店に立ち寄る。中でも経済・経営関係の本を読むことが多いが、最近特に、「人とどう付き合えばよいのか」といったものがやたら目に付く。専門誌から雑誌に至るまでこの種の見出しや記事が目に飛び込んでくる。中身はと言えばテクニックや手法ばかりが述べてあり、人付き合いに成功することがビジネスに成功できる近道だと読者に教えているようだ。
それも一つの方法には違いない。しかし、私はそれよりも最も大切なことは、「人生をどう生きるべきか」という精神論であり、自らの「人格」と「教養」を磨くことが肝要であると考える。渋沢栄一を始め、明治の財界人は、人格を高める本を読み、自らの教養を高める努力をしたと伝えられる。
台湾の李登輝元総統は「指導者の地位に就いて成功できない最大の要素は、やはり指導者の『素質』と『能力』によるところが大きい」「この二つの条件を備える者は、組織を大いに発展させ、自らの理想を実現できるし、そうでない者は失敗を甘受しなければならない」と述べている。さすが指導者のお手本になる元総統の言葉である。が、私はあえてこの二つの条件に「人格」を加えたい。なぜならば、発展途上ならまだしも成熟したいまの世の中、「素質」と「能力」を持ち合わせ、ある程度成功しても、さらに一段上を目指すには社会から信頼を得られることが必須だからである。それには「人格」をいかに高めていくかが最大の条件と考えている。
「人格」なき者は好んで誤った方向を選択することが多いと言われている。人格がないから人格なき人ばかりが集まってくる。一流の人物と呼ばれる人は、利害の強い常識のない人間を敬遠する。彼らから何も得るものはないと考えているからだ。
たとえば、目先の利害しかない人には同じタイプの仲間しか寄ってこないのが一般的な現象だ。我々は「教養」を身につけるという価値観の選択で自らを変えることができよう。そんな必要がないと考えるのであれば、今後も自らが変わることはない。
指導者は「時流に乗って生きていく」ことが必要で、そのために内外の政治経済に学ぶことが大切だ。自らの「教養」と「人格」を高めていくことで良い人との接点が生まれてこよう。高いところから自らの経営を眺めることは企業の進路を狂わせない。それは教養という大きな力であり、グローバル化を迎えた時代に生きる指導者の必要不可欠な条件だからである。筆者は「素質」と「能力」に加えて、「人格」という匂いを感じる経営者がたくさん登場することを期待して止まない。