主張

減速と道徳が抜けた「価値の多様性」

あるレストランで見かけた親子の光景にひどく違和感を覚えた。四、五歳だろうか男児二人が奥の上座に、何か不満げにふて腐れた格好で座っていた。両親が下座に座って、子供に気遣いをしてなだめている様子だった。親はこういう場所で子供が大きな声を出し
たり暴れたりしたら困ると考えたのだろう。分からぬでもない。しかし、第一に上座と下座の関係だ。次に、なぜ親は子供に対して毅然たる態度をとらないのか─である。これは言わば親の威厳の問題だろう。そもそも威厳とはどこから生まれるのだろうか。言わずもがな普段の生活の中で躾と共に築かれていくものだ。一言加えるなら、威厳とは一方的に親が子供に威圧をかけるものではない。親が子供に愛情を注ぎ、子供が親を尊敬することから子供が親に対して威厳を感じるのだ。
戦後、日本は経済至上主義の中で生きてきた。父親は仕事にかまけて子供に満足に愛情を注げず、同時に躾も難しくなった。結果、親は子供のいうがまま、子供には快適な個室を提供し、子供は自分の部屋に閉じこもり外界との接触を遮断してしまった。子供は食事
の時だけ食卓に立ち寄るが、親との会話もなくテレビを見るだけである。こういう事態に至る原因にゲーム機やパソコン、テレビの悪影響も歴然である。これらの環境で育った子供の特長は無表情、無感動になり、人間的反応が薄くなると言われる。
一方、このような社会情勢に押されて学校教育にも問題を持ち込んでしまった。戦後でも本来であれば、武士道精神・倫理道徳が日本人の規範になるはずだった。ところが今、私たちは間違いなく教育の誤りによって、自分中心で他人への思いやりと優しさを欠いた「人間」を大量に育ててしまったようだ。
しかし、現今は価値観の多様化、価値相対主義が支配する時代となっている。縦型の倫理道徳型の「善し悪し」よりも、横型の欲望快楽型の「好き嫌い」がのさばっている。それだけに、我々は節度感覚を失いやすく、傲慢で暴走型の自己中心的な人間に陥りやすい。したがって、日本人が「国家社会」「倫理道徳」よりも「欲望快楽」「個利個略」という気持ちに陥るのも自然の成り行きであっ
たといえよう。
今や、日本社会を崩壊へ導く原因の第一は、精神的価値より物的価値を重んじてきたからだ。第二に核家族による家庭の崩壊である。次世代に向けて、若者に生きる希望と夢、正しい価値観を残してゆくのは、これからの私たちの責任ではなかろうか。