主張

「市場原理と共同体原理」

東京都内に中国人が経営する某中華料理店がある。その店主と皇位継承をめぐって大激論となった。勉強をしていない者がいう支離滅裂な論理であったが、さすがに中国人だけあって喋り出すと機関銃のように止まらないのが印象的であった。
その店主は「グローバルスタンダード(又は男女平等)の時代に女性天皇を認めないのはおかしい」「小泉元首相は有識者会議を通じて女性天皇を認めようとしたではないか」というものだった。
一方、私は「神武天皇以来、皇統は一貫して男系男子から継承されている」「11の旧・宮家のうち男系男子が存続する5の宮家に皇族復帰して頂く」という立場である。 しかし、その店主の論理は頑なにグローバルスタンダードの時代に何を古めかしいことを言っているのかという一点張りであった。そこで、私はその店主にたいしてグローバルスタンダードという一時代の概念で、日本の永き歴史のなかで培ってきた(皇室の)伝統を解釈するのはおかしい。グローバルスタンダードと伝統のちがいについてわかっていないのではないかと反論した。そこで、そのちがいについて考えてみたい。
言うまでもなく、グローバルスタンダードは合理性を追求する市場原理である。とくに経済という領域では企業が果てしなき利益の追求をしてきたがゆえに、世界第2位の経済大国という地位を手に入れ、いまやグローバル化のなかでいかに勝ち続けるかという時代を迎えている。
しかし、その合理性を追求するグローバルスタンダード(又は市場原理)が絶対に犯してはならない領域がある。それは非合理性を追求する(皇室の)伝統であり、教育、学校、家族などの共同体原理である。その崩壊が倫理、道徳、礼儀知らずの子供たちを生む原因となるのだ。
そう考えるなら、「市場原理(合理性の追求)」と「共同体原理(非合理性の追求)」のちがいをキチンと区別しバランスを保つことが必要不可欠ではないか。小生、そう某中華料理店の店主に言いたかったのだが、いつの間にか気まずくなったのか姿を消してしまった。