木曜コラム

山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     皇統断絶の危機を阻止せよ

わが国にとって教育に次ぐ重要なテーマと言えば、「天皇制」の問題である。戦後、天皇とはいかなる存在であるのかについて正しく教えられることもなく、一部の勢力によって一方的に「昭和天皇の戦争責任と退位問題」が推し進められてきた。

これらを唱える政治家は市民活動家時代の菅直人元首相のみならず、歴代総理の中にも存在した。しかしながら、昭和天皇が崩御されたので彼らは天皇の「退位」を主張する大義を失ったのである。

それゆえ、反天皇勢力は次の目標として①開かれた皇室、②天皇への敬称・敬語の廃止、③女性天皇の即位等、戦術の転換を余儀なくされた。これらは国民にも理解され易く、皇室を護持する人ですら錯覚を覚えるような巧妙な「皇統断続論」であった。しかし、これらの制度を取り入れると「男系男子による万世一系」が放棄され、「皇統断絶」が決定的となる。つまり、皇室が継承されてきた基本的な基軸が崩れることに他ならない。

2千有余年営々と継承されてきた「皇統護持」の原則とは、「男系男子の皇胤」、つまり、天皇男子の血統を保持することである。それゆえ、日本の皇統史では「女性宮家」とか「養子」による皇統の継承は固く禁じられてきた。神武天皇から始まる歴代125代の天皇がすべて「男系男子」で継承されてきたのは、皇室の生物学的な因子を継承するためである。

スターリンが命じた「天皇制廃止」

戦後、わが国では昭和天皇の“戦争責任と退位論”が問われた背景にはソ連のスターリンが日本共産主義者らに「天皇制廃止」という絶対的な命令を下した。これは1932年7月2日付『赤旗』に詳しく掲載されている。彼らの目的は昭和天皇の「戦争責任」を追及して裁判にかけ、天皇を処刑することであった。

しかしながら、GHQのマッカーサー元帥が「昭和天皇」は大多数の国民が支持していること、日本を統治するには天皇の存在が必要であるとして、東京裁判にはかけず不訴追とする。それゆえ、スターリンと日本共産党による昭和天皇の裁判と処刑は実現しなかった。しかし、京都帝国大学でマルクス経済学を研究し、その後教授職を辞して共産党員に転じた河上肇氏が『赤旗』で『天皇制の転覆』を発表。河上氏の「天皇退位論」は、当時の学者、知識人らが共鳴し、彼らに多大な影響を及ぼした。

たとえば、近衛文麿元首相は河上肇氏の論文を読んで感動し、東大を中退してまで筋金入りの共産主義者となる。そして総理大臣になって大東亜戦争を主導した。近衛は国民が戦争で玉砕するか、共和制国家を選択するかの二者択一を敗戦前の指導部に迫り、誘導したとされている。近衛文麿首相をはじめ政権中枢にいた尾崎秀実氏ら熱心な共産主義者らの行動は水面下で蠢くのである。しかし、当時の天皇や吉田茂らは近衛が共産主義者であることを知らなかった。

「開かれた皇室」「女性宮家」という詭弁

河上肇氏の論文は多くの影響を受けた政治家や知識人が論陣を張り、昭和天皇の退位を主張した。1952年1月31日衆院予算委員会で「天皇の戦争責任・退位論」をぶち上げたのは、青年将校と揶揄された中曽根康弘氏の「天皇制廃止論」で、皇室側の意向であるかのように創作された論文内容は見事であった。とはいえ、これらの事実や根拠が報じられないばかりか、すべての経緯が閉じられたなかで、共産主義者らの陰謀が暴かれることもなかった。

そうした勢力は昭和天皇崩御後、今度は「開かれた皇室」「女性宮家」を提唱するキャンペーンを開始した。「開かれた皇室」とは、天皇を芸能人並みのスター扱いすることでスキャンダル化し、皇室の権威を著しく損なうことが目的であった。わが国の皇室は2千有余年、皇室が宮中行事に専念し、国家の平和と繁栄を願う存在であり、皇室は開かれた存在であってはならないとされてきた。それゆえ、天皇の宮中祭祀を憲法に明記すべきだとの声が沸々と湧き出る昨今である。一方、英国王室はドイツから来た王族なので国民に関心を引き付けるパフォーマンスが必要であった。それゆえ、英国は開かれた王室でなければならなかった。

「女性宮家」創設を急ぐ元共産主義勢力

「女性宮家」は男系男子の継承を断絶するものである。「皇統護持」には「男系男子」と「養子の禁止」が原則だと既に述べてきたが、女性天皇が一般の種を宿すことは、その時点で天皇家の歴史が断絶する毒薬だ。小泉政権時に、「女性宮家」への「有識者会議」を開いたが、全員が元共産主義者であったことは周知の通りである。彼らは強引に女性宮家の実現を試みたが、皇統の「一大原則」の壁は厚かった。

「男系男子」が難しいのであれば、戦後GHQによって解体された旧宮家を復活すればよいとの意見がある。しかし、反対勢力はあらゆる理由を付けて阻止したものである。「皇統断絶」が目的の反対勢力側にとって旧宮家は皇統を継承する障害物であって、断じて許すことができない存在だ。「愛子天皇陛下」は皇統断絶を意図する勢力らの最終目標だからであった。これは「女性宮家」をわざわざ持ち出して皇室の伝統的な歴史を転換させる「皇統断絶論」である。 この問題の解決手段は、男系の血筋を引く旧皇族の方々に戻っていただければよい。

旧宮家の復活は、保守の論客と言われる専門筋ですら、声を大にして言わないのはおかしい。さらに言えば、「皇統維持」は旧宮家の男子から儲君(もうけのきみ。皇位を継承すべき皇子・皇女。皇太子)を定めればよい。

日本人の心の拠り所である天皇陛下

先にも述べたが、昭和の時代には、昭和天皇の「戦争責任・退位論」が左翼の学者・知識人らの最終目標であった。ソ連のスターリンによる命令で当時の共産主義者らは競って命令遂行に奔走し、「天皇制と民主主義」が両立しないなどと主張して、天皇打倒に対してあらゆる論陣を張った。

戦後の進歩的文化人といわれた東大の南原繁総長の「天皇退位論」は多くの知識人に影響を与え、小・中学校から大学教授に至るまで幅広く「天皇退位論」が説かれたのである。その中で「日教組」が果たした役割は大きく、共和国は夢の国で、君主制は過去の遺物であり、“日の丸・君が代”は血の匂いがすると断じて、青少年の洗脳に成功したのである。あらためて言えば、「日教組」の輿石氏は政権与党の大幹事長であった。

昭和の末期に昭和天皇が吐血されたことがある。病状悪化を心配する国民が全国各地から自発的に集まり、見舞いの記帳所には長い行列が作られた。「忘れもしない、~1月7日」と記憶している。

この日はこれまで経験したことのない凍りつくような寒い日であった。しかし、日本全国各地から集まった800万人近い人々が記帳したと聞き、改めて天皇を思う国民の熱い想いを知るものであった。

昭和天皇を慕う全国民の心情が伝わる感動的な情景は今も胸に焼き付いている。やはり天皇こそは日本国民を代表する存在であり、日本人にとって根源的かつ心情的に敬意を表する対象であると多くの日本人が思う何よりの証左ではなかろうか。

東北大震災の後、「昭和天皇打倒論者」である菅直人元首相が被災地をヘリコプターで空から視察する。その行動は大地震と大津波に呑まれて犠牲になった2万人の方々に対する配慮に欠けるものであった。一方、今上天皇・皇后両陛下は被災地に多忙な公務の合間を縫って何度も足を運ばれ、膝を突いて被災者を自ら慰労された。日本国民はおろかアジアの国々の人々が天皇・皇后陛下の行動を見て敬意を表したのは記憶に新しい。

日本国民を救った昭和天皇の大英断

昭和20年8月15日、昭和天皇がみずから決断され、終戦宣言を発表されたことで、多くの国民が救われたことは記憶に新しい。当時の軍部による徹底抗戦を振り切って玉音放送で終戦宣言を発表できたのは「天皇」ならではのことであった。

もし、昭和天皇の強い意志と行動がなければ犠牲者が増えたであろうし、さらなる原爆投下によって日本国民が絶滅に近い状態までに追い込まれたと米国軍事筋が語っていた。今にして想えば、あらためて日本国民の一人として昭和天皇の国民を思う勇気と決断に感謝の念を禁じ得ない。わが国にとって天皇家は家族の代表的な存在であり、日本人の精神柱でもある。これは政治や権力でいかなる手段と圧力を加えても動じることはない。

韓国大統領の許されざる不敬発言

8月14日、韓国の李明博大統領が韓国教育大学で、以下の通り述べた。曰く、「日王(天皇の蔑称)は韓国民に心から土下座したいのなら韓国に来てもよい。重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏みつけて地面にこすりつけて謝らせてやる。そうしないなら入国は許さない」。これは天皇と日本国民を侮辱する発言であった。

李明博大統領は就任当初から「日韓新時代」を語るなど期待された。しかしながら、任期終了間際になって自らの保身のため、反日大統領に変身して韓国民に媚を売り、わが国の天皇を罵倒した。これは世界的にも類例のない非礼な発言である。日本国民の一人としてここまで言う韓国大統領の哀れな末路に心から同情の念を禁じ得ない。

次回は9月27日(木)