木曜コラム

山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     明日の日本人を考える   ~ 黛敏郎氏との対談再録(上)1988年8月24日

1988年8月、今から24年前、作曲家の黛敏郎氏と月刊「SHINWA」で対談を行った。テーマは「明日の日本を考える」である。黛氏は、対談の中で「日本民族は独自性や個性という基盤がないと、ただ難しい技術、方法論を取り入れても結局根なし草になってしまうんですね」と語られたがその言葉が印象的で今に生きていると思う。

グローバル化という競争社会では合理化、効率化が問われている。それだけに歴史、民族、文化という先人たちが営々と築いてきた資産が切り崩されてはならない。筆者は弊会が発足以来、常に歴史を尊重し、日本人の誇りと自信を持つよう周囲に訴求してきた。日本人に過去がなければ未来がないと考えるからである。ここに、日本が生んだ偉大な音楽家であり、思想家でもある黛敏郎氏が日本民族の原点とは何かを語る24年前の対談を公開する。

明日の日本人を考える
~国際化時代のいまだからこそ問われる日本人としての原点

山本)本日は、黛先生と語り合えることを楽しみにしていました。まず、わが国が国家の根幹に関わる、しかも、当然解決されて然るべき大問題がこれまで解決されずに放置されています。たとえば、靖国参拝や歴史認識の問題、あるいは国歌や国旗を否定し日本民族を破壊に導く教育問題等難問山積です。わが国政治の歴史認識が自虐的と言われるのは、世界の七不思議の一つに思われています。一方、天皇の存在と行方はどうなるのか、心配になります。このたびの昭和天皇の崩御も、内外に大きな波紋が巻き起こっています。

黛)未だに天皇が神に等しい扱いを受けているのはけしからん。いったい日本人は何を反省したのかという見方が一部にありますが、この問題はすべての根が同じだと思います。一言でいえば、戦後処理が的確な形で行われていなかったので、これでは将来、大きな禍根を残すんじゃないかと心配しています。

つまり、日本が昭和10年代にとった行動が、領土的な野望が先行して近隣諸国に迷惑をかけただけの戦争であったのかどうかをはじめ、日本が国家としてとった行動の戦後処理をきちんとしなくてはいけない。もちろん反省も含めてですけれども。しかし、正当な理由は、当然、主張しなくちゃならない。これまで、それをいつまでもタブー視してきたためにいろんな誤解を生んでいます。近隣諸国との軋轢はすべてそこに根があるといっても過言ではないと思うんです。これをいつまでも引きずっていては新しい交流だとか、親善とかはできないですね。つまりですね、歴史の検証がなされないままの歴史観ですから、今後、10年、20年後には根拠のない歴史観がまかり通る可能性があります。

これは最近の中国の例が大きく物語っているところですけれども、実は韓国の偏向した歴史観の間違いを正すのは、結局、我々世代の人間以外ありませんね。つまり、おぼろげながらも戦前を覚えている、戦中もはっきり認識しているし、戦後は主としてその時代に生きてきたという世代ですね。

それに時局心話會の主要なメンバーの方の中にも、年代は少し下ですが、戦後の混乱期というものをやはり身を以って経験されている方もいらっしゃるわけですから、ぜひともお骨折りいただかなくてはなりません。とにかく、今、我々がはっきりした評価をしないと、もう後の世代には無理です。未知の事柄があまりにも多すぎますから。とくに戦後教育は非常に偏向した教育と情報不足の中で行われていますので、公平な目で判断することが難しくなっています。

山本)戦後、わが国の政治・行政や教育界はどちらかというと一つの社会主義的な世界を形成してきたといえます。それに反対するものは右翼、軍国主義者、ファシズムと決めつけられるなど、単に言葉の持つイメージで片付けられてきたわけですね。国際的な基準で見たら社会主義国家です。例えば今日のような平和国家であるのに、未だに、国家観、歴史観を語ると軍国主義の復活だと、情念のような次元でいう人がいますね。今回のリクルート事件にしても、こうした戦後の権力者らによる思想と習性みたいなもので整理され、標的にされておかしな事件になっていませんでしょうか。平和と安定の手段を否定する思想が権力を持つ土壌のなかで、憲法、防衛、教育改革を論じても解決できる環境がないのが残念です。

はっきりさせない日本人の国民性が論議を生んだ

黛)本来ならば、昭和三十年の保守合同の際、重要な旗印の一つに憲法改正がありました。ところが、いつの間にかあいまいになって、最近は、自主憲法制定の問題が自民党の綱領から危うく消えかかったぐらいですからね。憲法というのは単なる法律問題じゃなくて倫理に関わる問題です。また、憲法問題でいちばん困るのは、拡大解釈という便法によって、問題点をあいまいにすることですね。たとえば、憲法第九条にしても、まともな人間から見れば「あらゆる戦力を保持できない」と読むのが普通なのに、憲法を改めるのは大変だからと、虫のいい解釈によって自衛隊を誕生させてしまった。靖国も、防衛問題も全部そうですね。はっきりさせないから論議が起きてくる。

山本)はっきり物を言わない、しないが日本人の国民性であって、長い習慣がそういうあいまいさを生んでしまったからでしょうか。

黛)しかし、西欧的な知性を備えている人間には、全く不可解ですね。三島由紀夫氏が、憲法を改正しない限り、日本の政治、思想、倫理の基盤は確立されないと言いましたが、その通りだと思います。憲法を改正するのはたいへんな難事業ですから、一朝一夕にはできないでしょう。しかし、少なくともやらなきゃならないと思っている人が、もっと発言すべきだと思います。

山本)発言したくともタブーになっていて結局は左翼体制に同調しないと生き残れないんでしょうか。

黛)中曽根さんがよい例ですよ。あの方は若い頃から改憲論者だったのに、総理になると、「私の時代には憲法は改正しない」と言っています。これでは近隣諸国との本当の交友関係は生まれてきません。たとえば、日韓関係でも日韓併合という不幸な歴史を避けて通らないで、何が原因だったかを語るべきです。我が国がはっきり主張しなかったら将来、事実無根の歴史観が既成事実化する可能性がありますね。

山本)それが恐いですよ。たとえば、日帝時代のことについては、日本が一方的に悪いということで結論化しています。しかし、世界的視点から見るのと、日本的、韓国的な立場で見るのとでは、その見方に大きな違いがあって当然です。日本が韓国を併合したというのも、あの時代の倫理観と常識でいえば悪いことではなかったわけですね。当時は、ヨーロッパの列強諸国も日本と同じく、あちらこちらを植民地にしていたわけですからね。
ところが、現在の倫理観と常識から見れば、日帝時代の行為は許されないことになります。しかし、韓国を併合したのが中国やロシアだったら、現在、どうなっていたか。物の見方、考え方というものが、時代背景やその国の立場によって変わっていくものです。わが国は立場を明確にしてはっきり主張し真実の歴史を語るべきですよ。それがないと日本の歴史はすべてが後退し、将来真実が見えなくなるのが心配です。中国や韓国を訪問した日本の政府関係者らは、「過去、不幸な歴史がありましたが、貴国にご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」の謝罪一点ばりです。日本を代表する人々が相手国の圧力に屈して、なんでも日本が悪いと言いたくなる気持ちもわかりますが、それでは、両国の友好関係、ほんとうの意味での相互理解は生まれてこないんじゃないですか。

黛)デリケートな問題ですが、贖罪意識ばかり持っているのが現実で正しい歴史を語ることが必要ですね。

山本)
しかし、かつての自民党の奥野誠亮議員は先の大戦について「侵略戦争ではなかった」と発言しました。政治家が自ら正しいと信じることをいえば、結果的に政治生命を失う覚悟が必要ですね。奥野氏は「盧溝橋事件は偶発だった」と言いましたが、中国共産党による謀略説との見方が明白となり、日中の専門家筋で認識されている問題です。中共の劉小奇元主席も盧溝橋事件は我々が日本軍に仕掛けたと言っていますから。

黛)その通りですね。たとえば、村松剛さんや加瀬英明さんが中国に行かれて日中友好協会の会長と会いましたが、彼らがまったく日本に対して正確な情報を持ち得ていないということが、計らずも判ったそうです。日本の現状を伝えることは、当然、政治家やマスコミがやらなきゃいけなかったにもかかわらず、全然やっていない。正確な情報を伝えていないので、デタラメを言ったそうですが、村松さんが相手の間違いを指摘したら、孫会長が怒って「あなたの国の新聞にそう書いてあるじゃないですか」と言ったそうです。彼らのおかげで一つの突破口が開けたような気がしましたけれど、もっと我々が頑張らなくてはということを感じますね。(続く)

次回は6月7日(木)