山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     小沢裁判の矛盾と歪み

2011年03月01日

いよいよ、小沢裁判が終盤を迎えた。17日東京地裁の政治資金規正法違反に問われた、「石川調書」が却下された。これで有罪確実とされた小沢裁判は、犯罪を立証する証拠が無くなり、4月下旬の判決は無罪が濃厚となる。筆者はこの裁判がもともと政治目的で行われたものであり、犯罪を立証する事実と根拠のない事件であり、やがて化けの皮がはがれると思っていた。

これまで検察は小沢事件を二度にわたって不起訴処分にしている。本来ならそれで終わりのはずであったが、検察は別の手で逮捕するために、「東京第五検察審査会」を立ち上げた。当初検察官らはこの検察審査会の指定弁護士らに一応、小沢氏は「嫌疑なし」と説明したが、それでも彼らは無理矢理「嫌疑あり」として小沢有罪に持ち込んだ。

ここまでやると、この事件の狙いが検察権力による小沢潰しであり、政治的意図がはっきりと見えてくる。指定弁護士らがあらゆるトリックを使って有罪に持ち込もうとする姿勢は、官ぐるみの小沢潰しが一層苛烈になるとともに、事件の矛盾と歪みが見え始めた。断っておくが、筆者は小沢氏を弁護する仲でもなく立場でもないが、この事件に関して小沢氏には非がないと確信し、これまで当コラムで何度か無罪になると述べている。これは、彼の性格や考え方を知る立場の人たちと同じく、真実を広く伝えたいとの思いからであった。

小沢裁判の茶番劇

筆者は「強きをくじき、弱きを助ける」という言葉が好きである。物事の本質を見抜き、自分が正しいと思うことに信義を貫き通せる人生は幸福だと思う。人様の顔色を見る無難な生き方や利害のために主張の変わる論者に真実を書くことはできない。この事件の権力側による決定的な失敗は小沢一郎という人間の本質を無視した人たちであり、情報不測と無知による判断ミスに他ならない。

政治がからむと思想、信条を曲げて迎合する学者や知識人がたくさん登場する。彼らは体制側に都合のよい論調で世論をミスリードし、小沢極悪人の犯罪づくりに一役買ってきた。例えば「小沢氏の政治家失格は明らかだ」「二転三転する小沢発言の徹底解明を」「小沢グループ、若手の離党止められず」等々、あること無いこと小沢潰しのキャッチフレーズが紙面を賑わした。世論調査で80%以上の国民が小沢嫌いと回答したが、国民の中には検察リークと疑う人も増えている。

小沢氏の「四億円原資」とは何か。「政治献金」「銀行融資」に関する不正疑惑が先行して悪役のイメージが定着する。小沢氏ははじめからカネの出所について「両親からの相続や印税、議員報酬など諸々のカネを集めた」と検察やインターネット、メディアに説明した。しかしながら、検察は執拗に彼らは水谷建設から五千万円の裏献金があったとか、証拠もないデタラメなネタをメディアに提供したのではないか、とは世論の声だ。検察による小沢裁判は組織ぐるみの犯行であり、虚偽の調書を作り、裁判を冒涜するものだ。今後は、彼らがお縄を頂戴する立場に逆転するとの指摘もある。

組織ぐるみの小沢潰し

小沢一郎氏が検察ににらまれたのは行政に真っ向から立ち向かう姿勢を見せたからである。しかし、小沢氏は、不正なカネを手にする事実も根拠もなかった。一言で言えば小沢氏は金持ちであり、身近なカネを必要としない恵まれた立場にある。氏の両親は、将来小沢氏がカネで政治生命を潰さないようそれなりの資産も残していた。さらに氏の夫人は新潟でも有数の資産家である。そして、政治家として師匠である田中角栄や金丸信がカネの問題で失脚した姿を目の当たりにして、カネの扱いはとくに神経を尖らせてきた。

実際、筆者が知る小沢氏は、カネに対しては異常なほど神経質であるとの印象を否めない。それゆえ小沢氏はカネには清廉潔白であり、不正なカネは一切手にすることはないと改めてそう思う。検察はゼネコン100社に小沢氏への政治献金の調査をしたが、回答は各社100%ゼロと答えている。これまで小沢氏が不正なカネは手にしないと断じてきた。当事者である小沢氏の生き様を知らず小沢裁判を語ることはすべてが間違いの元になる。カネに対して用心深い人がどうして工事業者の仲介をしたり、見返りに大金を受け取るのか。考えられないことだ。

あらためて言うが、今回の裁判で小沢氏が最終的に無罪になることは分かっていながら、大騒ぎしたのは執拗な小沢裁判のその裏に潜む政治的意図によるものとは周知のとおりである。検察側の驕りや、捏造された体質の踏襲があぶり出されてきた。つまり、彼らは小沢排除に大義も正義もなかったのである。

検察の暴走を許すな

これまで政治家の「政治とカネ」の検察捜査はマスコミの発表段階で大方の事件が片づいてきた。被告人の大半は、反論はあっても身の保全のため検察権力に逆らわず、おそれおののき従順にひれ伏すというのがこれまでの通例であった。安倍政権が行革にメスを入れようとしたが、各メディアは一斉に安倍内閣の大臣に対して“政治とカネ”の問題を取り上げ、ネガティブキャンペーンを張った。その安倍潰しは執拗であり、熾烈を極めたとの印象は鮮烈で、いまだに脳裡に焼き付いている。

しかし、大権力に立ち向かう政治権力にあらゆる手を使い、息の根を止める、という図式や手法に限界が見え始めた。たとえば、今回の小沢事件では、最初から犯罪を立証できる証拠もなく、明らかに検察の勇み足が生命取りだ。彼らの常套手段である威迫で一件落着との目論見は見事に外れたばかりか、すべてのツケは検察が払うべきだとの声が挙がっている。

しかし裁判が進行するにつれて、検察は証拠を立証できないだけでなく、石川氏がひそかに検察官とのやりとりを録音したテープが登場して、検察の不当な取り調べが明らかとなる。違法であり不当な操作ではないかとの批判が検察に向けられ始めたが、本番はこれからだ。田代政弘検事の暴力的な取り調べに対して、本人は「上司の指示」をほのめかしているが、これでは捜査が上層部にまで及ぶとの見方もある。

この事件で、「検察の違法捜査は組織的に行われた」と裁判所が断じたのである。今後、市民団体による検察への告訴次第で検察上層部の関与、捜査、逮捕にまで発展するとの気運が高まりを見せ始めている。

今回の検察捜査は小沢氏を政界から引退させることが目的であった。一方、民主党執行部から小沢氏は党員資格停止処分を受けるなど、手足をもぎ取られた格好だ。つまり、小沢氏は政治生命を失いつつあった。

小沢裁判で秘書3人への逮捕は官という組織的関与で行われた第一段階であるが、当初は犯人扱いであった。しかし無罪が確定すれば、特捜部は大改革を急ぐべきだ。小沢裁判に対する検察官の違法行為は、まず“田代検事を逮捕せよ”との声が今後も強まりそうだ。

増税問題は藤井氏らによる怨念がらみの主導権争いだ

いまや野田政権の消費税増税問題は実現不可能となりつつある。野田氏は消費税増税に反対する小沢グループの動向を無視したツケが回ってきた。野田首相の師匠は藤井裕久氏である。つい最近まで、藤井氏は小沢氏の新生党、新進党、自由党以来の側近であり、大番頭であった。増税問題は小沢氏と藤井氏による怨念がらみの主導権争いとの印象を否めない。

小沢氏が裁判で受けたダメージは大きい。イメージダウンの小沢氏との連携は、第三極を形成する勢力にとって改革の邪魔になるだけだと誰もが敬遠する。小沢氏が橋下徹大阪市長の「維新の会」との連携に期待しても相手にされず、石原慎太郎知事から毛嫌いされている。しかも解散・分裂なら小沢グループの衰退は避けられないとの見方もある。次なる小沢政局は大連立か、民主党代表選か、今のところ、自らの力で新しい流れを作るしかない。

幸いなことに小沢無罪となれば、官の次なる標的は「船中八策」を掲げる橋下徹氏だ。権力側にとって小沢氏よりもっと手強い相手である。この「船中八策」の本音は本格的な行財政改革を実行することだ。これからはマスコミの橋下潰しキャンペーンが紙面を飾ることになろう。しかし、検察の出番があるか否か、検察は小沢裁判で大きくつまずき信頼を失った。

検察の暴走を許すな

今回の小沢事件にみる検察の腐敗と堕落は目を覆うばかりである。これまで検察が捜査から起訴に至る過程はノーチェックであり、検察は捜査のすべてを闇の中で取り仕切ってきた。確たる証拠もない被告人に対して、「まず起訴ありき」で、あらゆる手を使いストーリーを作って犯人に仕立て上げた。わが国では検察の手にかかれば99%以上の被告人が有罪になるが、世界は10~20%が限界である。いまや検察による証拠改竄事件が頻発し、検察神話が大きく崩れようとしているのは、小沢裁判の功績に他ならない。

政府は世論の検察不信と相次ぐ不祥事をきっかけに、法務省内の第三機関である「検察の在り方検討会議」を発足させた。今後、検察改革に向けた動きが活発になると見られている。いずれにせよ、小沢氏の証拠不採用で消費税増税反対や政界再編に向けた動きが活発になろう。小沢氏もようやく長い冬ごもりから雪解けの春を迎えるが、これからは氏にとって最後の政治活動の正念場として頑張るしかない。日本を力強い自立した国に再生してもらいたい。

次回は3月8日(木)