木曜コラム

山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     野田政権と民主主義を問う

野田佳彦新首相は代表選で自らを“どじょう”にたとえ、泥臭いイメージと庶民性を売り物にした。野田氏の演説は庶民にとってはわかりやすい文言が何より心地よい。氏は千葉県選挙区の駅前で毎朝街頭演説を欠かさない頑張り屋さんだ。元々は冗談が好きで面白い人との、別の側面も見て取れる。

野田氏は民主党内で外交・安保・歴史観に関しては最右翼といっていい。たとえば「尖閣諸島は歴史的に見ても日本の領土」と中国の唐家セン国務委員に正面切って噛み付いた。わが国の歴史観を正面切って主張できる国会議員はなかなかいない。さらに「A級戦犯は法的に回復されているので戦争犯罪人ではない」と何度も言ってきた。しかし、野田政権は「靖国神社」には参拝しないと言明。言っていることと実行が矛盾するところもある。

日韓併合100年の「謝罪談話」に対しては最初から反対で骨のあるところを見せていた。菅前首相の「謝罪談話」は国家国民の誇りとわが国の歴史を歪めるものというわけだ。しかし、野田氏は「謝罪談話」が閣議決定されると一転して反対から署名に応じるなど、これも言うこととやることが違っている。

政策は絵に描いた餅か

自民党政権の一部の首相や民主党の鳩山・菅政権は、わが国のかつての戦争を悪と断罪し謝罪し続けてきた。日本の政治家たちが自国の歴史的事実に蓋をして、中国、韓国から見た事実と根拠のない歴史観を容認するとはひどい話だ。外務省筋ではこれは中韓を刺激しない外交政策だと言い訳する。

野田氏はこれまで日本の歴史、外交、安全保障問題に学び、正論を述べてきた。野田氏はまじめで重みがあるように見えるが、今後あらゆる政策実現のリーダーシップを取れるか否か、しばらく様子を見る必要がある。

安倍晋三元首相は今年7月、野田氏に対して「あなたの歴史認識はまともな考えを持っているが、腹の中で抱えているだけではだめだ。政治家ならば、それを現実社会で生かさなければいけない」と忠告している。民主党内は左翼が内閣を牛耳っているので、野田氏がそこにどう風穴を開けるか。まずその関門を通るのは至難なことだ。

政治経済低迷で国外脱出を余儀なくされる日本企業

現在わが国の政治家に国家の行く末を案じ、国民のために働くという思いが伝わってこない。しかも確固たる国家観もなければ信念もない。すべてが場当たり的だ。しかし、彼らは目先の不都合を上手くすりかえる術には長けている。こんな場当たり的政治が繰り返される限り、わが国はいつまでも政治経済が衰退し続け、企業は海外に逃げていくしかない。

政府中枢に国家の基本的な理念や概念がまったく見当たらないなか、政治家の個利個略、党利党略が一人歩きするのが、わが国政治の現状だ。野田氏は著書「民主の敵」の中に「保守政治家」としての矜持が明白に語られ、野田氏には期待が持たれるが、実際の政権運営となると「絵に描いた餅」で終わる可能性もある。

われわれは国家国益を基本に置いた理念と哲学を持つ政治家に期待する。「民主の敵」の冒頭に“官僚に支配され、既得権益集団の利益ばかりを優先し、挙句の果てに格差社会の拡大には頬かむり―”と行政を批判した。しかし野田氏は財務省主導の増税路線の旗振り役となるなど、これまた野田氏の理念と実行の違いに先行き不安がよぎる。

戦後わが国が失ったものは国家観

いま、わが国で失われている4つの問題を整理してみよう。まず1つ目は現代社会に欠けているわが民族の「国家観」である。戦後10年ほど経ち、世の中が落ち着いてくると自由主義が幅を利かせ、自由にものが言えるようになった。その頃はなんでも自由だから、「国家」はあってもなくても同じだというおかしな考えが蔓延していた。

これまで「国家」とそれを運営する政府を批判することがインテリだともてはやされた。これまでやってきたことはすべてが為政者たちの軍国主義がもたらしたもので他国に迷惑をかけたとまことしやかに言い、“自虐史観”を言い立てる人がインテリだと思われていた時代であった。つまり「国家」を語るのはタブーという概念である。

伝統文化を否定、軽視する風潮が蔓延

2つ目は、戦後、世界第二位の経済大国になれた根源は、わが国固有の伝統・文化の技術的継承であった。いまだに世界で技術力の先端を行くのもわが国の先人たちが営々と築いてきた文化・伝統の継承であり、そこに世界が賞賛する技術が累積されている。しかし、進歩的文化人らが言う、わが国の改革、革新という名のイデオロギー戦争の目標は、日本文化を破壊することであった。

本来文化とは美しい言葉を語ることであり、精度が高く密度の濃い作品を生み出す文化そのものである。筆者は日教組教育に洗脳されていないので、わが国の文化は他国に見られない独特の美意識・精緻・思いやりがあり、日本人を高く認識すべきとの誇りと実感があった。

しかし、戦後の高度成長期に日教組が日本の文化、伝統、芸術、天皇制を否定する教育を子供たちに教え、左翼イデオロギーを注入した。こんな愚劣ともいえる教育を若者に押し付ける現場教育に見て見ぬふりをしてきたのが保守系論者であった。しかも、新聞・メディアは一切取り上げない。本当に可哀想なのは子どもたちであった。

戦勝国に押し付けられたイデオロギーで国家が衰弱

3つ目は、連合国軍総司令部(GHQ)が戦後、メディアと公教育を通じて日本人に対し戦争への罪悪感を植え付けた宣伝工作「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に始まるイデオロギー工作はわが国を数十年かけて弱体化させた。こうした情報操作によって戦後永い年月をかけて日本人は見事に洗脳され、骨抜きにされ、指導者らさえ誇りと自信を失ってしまった。

歴史は戦勝国の都合で作られ、敗戦国の歴史は否定されるのがこれまで世界史では常識であった。古代ローマ帝国の攻撃を受けて敗れたカルタゴの歴史はすべて悪と断罪されたうえ、解体された。同じように、米国に敗れた日本の歴史や憲法、社会構造はすっかり米国式となり、彼らにとって都合のよい社会体制がつくられたのである。その隙間を狙って中国、韓国が彼らに都合のよい歴史観をわが国に押し付けてきたのは周知のことだ。彼らにとって歴史観とは、わが国の技術と資金をせしめる政治的手段に他ならない。

わが国は米国をはじめ近隣諸国にとって都合のよいイデオロギーを注入するのに格好の場であった。イデオロギーは一種の宗教と同じで、一度信じると殺人すら正義となる。菅政権は東北大震災で寒波の中、苦しむ被災者に充分な食料、住居を与えず放置し、たくさんの人が餓死した。市民運動家、菅直人氏はイデオロギー思想・戦争の落とし子である。菅氏は永い間日本の文化、伝統、歴史を否定する反日家であった。

非常識もまた正義なり

野田氏の父は自衛隊出身である。自著で「自衛隊のことには普通の人以上にわかっているつもりだ」と前置きした上で田母神俊雄前航空幕僚長が、民間企業の主催する懸賞論文で「日本は侵略戦争などしていない」と語ったことについて「この行動は評価できない」と語っている。

田母神氏の発言、論文については、幕僚長という極めて専門性、戦略性が問われる立場の人間の行動としては賛否両論のあるところであろう。しかし、田母神氏の本音は、自らの重い立場を越えて、国家国民に正しい歴史観を投げかけたのである。この自虐史観が自衛隊員にも蔓延している現状に、「非常識な行動もまた正義なり」との思いから身を挺しての行動であった。野田氏は理念や常識を大切にされるが、田母神氏は実行あるのみだ。

過度の自由と民主主義で引き裂かれたわが国の共同体

4つ目は、自由と民主主義である。現今の政治状況をみても、若いからとか人気があるだけで国の代表者を選ぶ風潮がある。政治家になる勉強もせず、下積みの苦労もなく、突然国を代表する国会議員になるのだから、首相が一年毎に代わらざるを得ないのも当然であろう。

民主主義とは多数決の論理であるため、本来、国民にも正しい見識が求められる。しかし、多くの国民はメディアの表層的な情報で判断するしかない。欧州では宗教が民主主義を否定し、米国は宗教が民主主義を促進した。日本では道徳がかろうじて支えてきたのである。

われわれは自由と民主主義は絶対的なものだとみんなが考えてきた。民主主義という名のグローバル化でわが国共同体がずたずたに引き裂かれてきた面もある。考えてみると、自由と民主主義は米国の大義で世界に広めようとする戦略思想に過ぎない。しかし、わが国は自由と民主主義に傾き過ぎ、あまりにも多くのものを失った。いまいちど自由と民主主義を再考すべき時期にきているのではないか。

次回は9月22日(木)です。