山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     主権意識なき民族の危機

2011年03月31日

民主党の土肥隆一衆議院議員が、ソウルで開催された「日韓キリスト教議員連盟」の大会で日本政府に対して竹島の領有権主張の中止を求める共同宣言に署名したことが明らかになった。共同宣言には「日本政府は歴史教科書の歪曲と竹島(独島)の領有権主張を行い、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない」「日本は恥ずかしい過去に対し『責任ある行動』を通じ、過去の歴史の真相を釈明し、被害者に対する実質的な賠償措置を履行しなければならない」(3月10日付産経新聞)等と記述されている。謝罪文を発表すれば裏で必ずカネが動くのが謝罪の正体であった。

つまり、わが国の政治家である土肥議員は、「韓国側が占拠する竹島は韓国の領土であるから、日本が領有権を放棄すべきだ」との宣言文に署名したのである。のみならず、ソウルの集会で土肥氏は、日本の戦前の行為に謝罪したと言われている。

土肥氏の行動について、与野党議員から様々な意見が出ている。これは日本の主権を否定し、国益に反する売国行為であり、故意か作為的な行動か即座に議員を辞職するべきだとの意見だ。これらの批判的な意見を前に土肥氏は「内容を精査すべきで、うかつであった」と反省しているが、では、その内容とはどんなものであったのか。

「反日」「売国」丸出し、驚愕の共同声明

問題の文書は、韓国の植民地支配からの独立運動を記念した「3・1節」の関連行事の一つとして開催された「韓・日キリスト議員第92周年」の共同記者会見上、発表したものだ。共同宣言のタイトルは「和解と平和を遂げる韓・日両国の未来を拓こう」であった。以下、その内容の一部を抜粋する。

「最初に、日本は恥ずかしい過去に対し、言葉だけではない『責任ある行動』を通じ、過去の歴史の真相を釈明し、被害者に対する実質的な賠償措置を履行しなければならない。韓・日両国が真の友愛を分かち合う善隣関係を成し遂げ、赦しと和解の歴史を開くためには、真実の謝罪と賠償がその出発点であることを謙虚に認めなければならない(中略)。二番目、日本は平和憲法改正と軍事大国化を通じた軍国主義復活の試みを直ちに中断しなければならない(中略)。三番目、日本政府は歴史教科書歪曲と独島(竹島)の領有権主張により、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない」―というものだ。

土肥隆一民主党議員はこれらの日本語訳を渡され、内容を吟味したうえで文章に署名した。土肥氏らの行動は、何はともあれ、これは明らかに日本の過去を捏造して謝罪させる賠償金が目的だといわれる所以である。さらに問題なのは、民主党内に土肥議員の韓国での行動に関して同調する意見があることだ。岡田克也氏などは「政治家自らの見解はあっていい。言論の自由はある」と弁護したうえで、「今回の文書は民主党国会議員として到底認められない」と矛盾した認識を示している。

一方、菅直人首相は記者団に「遺憾な言動であり、強く戒めとしてもらいたい」(3月11日付朝日新聞)と述べているが、菅氏は国歌国旗法案に反対、拉致実行犯の辛光洙元死刑囚の釈放嘆願書に署名するなど土肥氏以上の反日政治家であり、菅・岡田氏の発言についても本音では土肥氏らと同じ側面があり同じ穴のムジナである。

「謝罪と賠償」に固執する反日政治家

最近の会合や懇親会でも、土肥議員に対する不審と疑惑に加えて批判が相次いでいる。わが国の国会議員が竹島はわが国固有の領土ではないと他国に同調するのは国益を損ね、国民を裏切ることだ。土肥氏を売国奴と言わずしてなんと言おうか。土肥氏は即刻国会議員を辞職してしかるべきとの声が大勢だ。

なぜ、わが国を代表する国会議員が他国に卑屈になり、国家を否定したり、未確定の領土の領有権を放棄しようとするのか。わが国政治家が「反日」を掲げて活動する裏には常に何かがからんでいると見られても仕方ない。

さらに言えば、宣言文には「謝罪と賠償」が強調されている。これまで、当コラムでは仙谷氏をはじめとする反日左翼弁護士らの「謝罪と賠償」の背景には、金の成る木があると指摘してきた。彼らは従軍慰安婦という実際にあり得ない話をネタにして何度も繰り返し謝罪と反省の要求を繰り返し、政治問題にしてきた。その都度裏でうごめくカネの噂が絶えないのは周知の通りだ。

左翼全盛時代に押しやられた民族の概念

その昔、売国奴と言えば、国の裏切り者であり、銃殺刑に処せられる犯罪人であった。いわばスパイと同じ立場であり、それ以上に重い罪を犯した人たちである。しかし、土肥氏の売国行為にどれほどの国民が関心を持ったであろうか。つまり、わが国は民族の誇りであるとか愛国心であるとかの価値観がすっかり溶解しつつある一つの現象といえまいか。

「日本民族の精神と勤勉」は、わが国民の精神的な柱であり、日本人としての価値観の根源であった。しかしながら旧ソ連の社会主義者らによる「民族は存在しない。存在するのは人民と階級である」との思想が、日本全土を覆い尽くした時期もある。左翼全盛時代に民族という概念は押しやられ、「人民と階級」による階級闘争がわが国に影響を与えてきた。特にスターリン時代は、民族の弾圧と粛清によって、階級闘争に封じ込めるという恐るべき独裁専制時代であった。これが今なお共産党主義者による「民族」否定の後遺症として生き続けている。

人民階級の末路を北朝鮮に見る

左翼全盛時代には、「人民と階級」論が力を持ち、「マルクス主義は科学だ」と一喝されても不思議を不思議と思わない世論が形成されていたように思う。これらの世論操作を喧伝し順応したのが当時「進歩的文化人」と呼ばれた左翼人士たちであった。

そうした思想や理念に影響を受けなかった筆者は、最初からおかしいことを言っていると思っていた。五大新聞社の一つに勤務していた兄とは意見が異なり、兄は「『民族』なんて言葉を使うと右翼に見られるぞ」と言い、「国家」と言うといやな顔をした。その兄が今では当コラムが唯一の楽しみだと言ってくれる。

「人民と階級」とは、スターリン政治の基本基軸であったが、結局階級とは何であったか。これは生産過程で起こる利害、地位、性質などを同じくする人間集団であると定義する。つまり、資本階級や地主階級を除く労働者階級が力を持つ社会だ。これは、人民中心による平等社会であるが、これは人民を貧乏にする社会でもあった。その末路は北朝鮮人民の現在の姿に見ることができよう。

世界は異質な民族の集まりである

しかし、我々日本民族はソ連の「人民と階級」とは相容れない神話、伝説、風俗、習慣、伝統、文化、祝祭日を持つ民族だ。米国に住むアジア人も同様である。民族とは異質なものであることが前提であり、グローバル化で経済が一つになっても民族は一つになれない。

たとえば、日本人は異質な民族だと外国から見られたとしても、我々からすればソ連(現ロシア)も中国も、米国も日本から見れば異質な民族の集合体だ。政治や経済の利害社会で自分たちの主義主張と異なることで異質と言われるなら、「あなた方の国の精神は異質である」と堂々と主張すべきではないか。

資格なき政治家の見解

世界の外交問題とは領土の線引きであり、領土問題に尽きよう。土肥氏はその後竹島について「日本固有の領土で、内閣とまったく同一見解」と釈明している。韓国に竹島の領有権主張を中止せよと言われて日本国を代表する国会議員が署名するなんぞ世界に類例のないことだ。わが国の一部国会議員の中に国家国益という概念すら溶解しつつあるのが現実であるとは既に述べたとおりである。

政治家が国家主権を否定し、放棄したという事実は重罪である。人間であれ、社会人であれ、政治家にはなおさら国家主権を否定する発言は許されまい。岡田氏の言う、「政治家の自由な見解」以前の問題だ。「竹島を韓国が不法占拠」したのは日本政府の公式見解ではないか。土肥氏があえて韓国の立場に署名したのは国会議員としてあるまじき恥ずべき行為ではなかろうか。

このように日本民族の精神をないがしろにし、国を危うくする政治家の存在を許してはならない。土肥氏は政倫審会長を辞任し、民主党を離党したが、それでは不十分である。本人に議員辞職の意思がなければ次の選挙で決して当選させてはならない。有権者一人ひとりが国を守る国会議員を選択する姿勢が問われよう。

次回は4月7日(木)です。