山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     小沢強制起訴の虚構

2011年02月24日

民主党・小沢一郎元代表の「政治とカネ」問題による大騒ぎは何であったのか。これほどの大事件であるなら当然有罪を立証する根拠があったうえでの強制起訴だと考えていたが、未だに法的に抵触する証拠は何も出てこない。筆者なりに専門に近いジャーナリストに疑問を投げかけても、明確に答える人はいなかった。

検察がこの事件で二度にわたって不起訴処分にしたが、弁護士らで構成された東京第5検察審査会(検察審)は「強制起訴」に踏み切った。これを補充捜査というが、最高裁の判例として「有罪判決を期待しうる合理的な根拠が客観的に欠如している場合の公訴提起は違法である」と定めている。

これまでの経緯について、検察官は「検察審」の指定弁護士らに本件は「合理的な嫌疑なし」と説明している。つまり、嫌疑なしとするものを強制起訴として引きずるのであれば、違法であるということになる。それゆえ、検察権力による小沢潰し事件と思われても仕方あるまい。

証拠なき小沢氏疑惑

事件のきっかけは、水谷建設から小沢氏の資金管理団体である陸山会に1億円の献金があったというものだ。これは岩手県の地元工事を仲介した見返りに強要した悪質な事件だとの話が出回った。水谷建設サイドは2004年10月と2005年の2回にわたって小沢公設秘書の大久保隆規と石川知裕秘書に要請され、5千万円を二回に分けて渡したとしている。この根拠は水谷建設の水谷功元会長の証言によるものだ。水谷氏は刑務所に服役中「小沢秘書らに強要されて1億円を献金した」と言い、数日後出所した。その後、この問題は確定することもなく立ち消えとなる。

次に検察が持ち出した根拠は「期ズレ」による虚偽記載であった。この「期ズレ」は小沢氏側によると、小沢氏本人と秘書3名から検察やメディアに何回も説明されている。しかし、検察にとって都合の悪いことは封印、小沢氏への説明責任にすり替えた。

虚偽記載と不正献金はなかった

陸山会は2004年10月5日世田谷区深沢の土地を購入した。しかし、所有権移転は2005年1月7日小沢一郎名義で登記されている。2004年に購入した時点で仮登記を付けて、翌年1月7日に所有権移転したのはなぜか、これが疑惑の的だ。この間の経緯に関する説明不足が、世論が不審を抱いて来た。

この「期ズレ」について、筆者の知り合いの不動産業者に尋ねたところ、その業者は「不動産売買ではよくあることです」と答えた。さらに深沢の土地に詳しい業者に聞くと、「あれは地目が農地ですから農地移転するには、農業委員の許可を取るのに時間がかかるんですよ」と言った。真相は農地から宅地に移転するのに「期ズレ」が生じたというものだ。小沢氏の「政治とカネ」問題は水谷建設の裏献金1億円に始まり「期ズレ」に至るまで、つくられた政治事件だとの見方が明らかにされつつある。

元秘書らを脅して証言を強要

小沢氏秘書が不正行為を働いたとされる水谷建設の1億円裏献金問題と「虚偽記載」の問題は、実際に不正行為を働いたという事実と根拠が見当たらなかった。しかも、現在所有権は小沢一郎氏になっているが、土地資産は陸山会のものであって、政治資金報告書に資金計上されている。

こうした金の流れを正しく記載している陸山会事務局は、検察には十分に説明責任を果たしてきた。政治資金の扱いは専門家数名の指示でチェックされているほど一般的には非常に複雑なものである。検察は総力を挙げて捜査を行ったが、証拠不十分で二度にわたり不起訴処分にしたものを政治倫理審査会(政倫審)が「政治資金虚偽記載」の罪で強制執行を行った。小沢氏の政治生命を断つ引きずり下ろし工作だと思われても仕方あるまい。

検察は元秘書らの捜査段階での供述を重視したが、元秘書らは起訴後、一部否認に転じた。事情聴取の段階で検察に脅されたり、圧力を加えられたりして精神的に朦朧状態になったことが原因とされている。元秘書の石川議員は検察に脅された一部始終を録音していた。2月7日初公判で録音記録が東京地裁で証拠採用され公開されると期待したが、内容は公表されなかった。その中味は、検察が「保釈後に供述を変えると、小沢さんの圧力があったとあなた(石川議員)への検察審査会の印象は悪くなるよ」という内容も入っている。録音記録が一般に公開されると検察の脅しがいかに悪辣であり、小沢事件は検察権力で作られたことが明白となるところであったが、これも封印された。

検察と暴力団は同じもの

余談になるが、かつてロッキード事件で田中角栄氏を裁いた秦野章法務大臣のことである。秦野氏は苦学して、後に実力で警視総監にまで登りつめた稀有な人物だ。退官後に政治評論家としてテレビでも活躍したが、その秦野氏と筆者は呼吸が合うというか、親しい飲み仲間であった。

秦野氏とは7日間毎晩朝帰りで赤坂界隈を徘徊したこともある。秦野氏は当時78才くらいであったと記憶しているが、非常にタフな人であった。8日目の日曜日の夕方、秦野氏から「山本さん、まだ元気あるかい。赤坂にうまい寿司屋があるんだがどうかね」との電話をもらい、これ以上秦野氏のお伴をするのは、肉体的に限界であり生命に関わると判断し、どうしても外せない予定があると断ってその夜は爆睡した。

筆者は秦野氏とのお付き合いを通じて国家権力と警察権力の恐ろしさを身に染みて感じたものだ。筆者は冗談まじりに「警察と暴力団とはどう違うんですかね」と問うた。秦野氏は「あんたはどう思うかね」と逆に質問されたので「やっていることは同じようなもので、追うか追われるかの違いじゃないですか」と答えると、秦野氏は「あんた面白いことを言うね」と笑った。

政治は数の力である

検察や菅首相の執拗な「小沢切り」は異常であり、小沢氏の政治生命を断つことに執着している。たとえ暴力団でもここまではやらないだろう。前回の民主党代表選(平成22年9月14日)の投票日に検察審査会の強制起訴が報じられた。

小沢氏は、政治権力は数の力であると考えている。小沢氏が昨年の暮れから赤坂界隈の居酒屋、カラオケ店で小沢グル―プ議員らとこまめに徘徊するのも影響力が分散しないための根固めである。また、小沢邸の新年会で議員らに酒を注いで廻るのも小沢流の人心掌握術の一つだと言えよう。

世論の声には勝てない

菅首相や岡田幹事長は何度も小沢氏に政倫審への出席を要請したが、小沢氏は頑として聞き入れなかった。2月14日民主党執行部は小沢氏に「党員資格停止」を突き付ける。それに対して小沢系議員グループは小沢処分に反発して16名が「民主党・無所属クラブ」から会派離脱。松木謙公農林水産政務官も23日辞任した。党分裂に向けて小沢グループが動き出す流れだ。

昨年9月の代表選で小沢グループは200人の議員票を集めた。親小沢派グループには一新会、北辰会、参院小沢グル―プ、旧自由党系などがある。小沢グループの大勢は常に危機感を持ちながら、菅、仙谷氏らと対峙している。影の総理といわれる仙谷氏らはあの手この手で小沢下ろしを画策したが、逆に仙谷氏は官房長官の座から引きずり下ろされた。最近仙谷氏の映像が少なくなったので政治が品格を取り戻したと、もっぱら街の噂だ。

政治は数の力であり、小沢氏がひとたび動けば、菅・仙谷氏も木端微塵に粉砕されよう。今、小沢氏が身動きできないのは世論の声があるからだ。いかなる権力者も世論の支持がなければ何もできない。30年間独裁政治を牛耳ってきたエジプトのムバラク大統領も世論の声で退陣に追い込まれた。

最後に残るには真実

小沢氏の師匠である田中角栄氏や金丸信氏は「政治とカネ」で政治家を失脚している。しかし、小沢氏がそれ以上にメディアに叩かれ、政治的な圧力を受けているのに議員も辞めず、離党もせずに頑張れたのは、小沢氏を有罪にする事実と根拠がなく、正義と真実が支えて来た。

いかなる権益集団による圧力が加えられても正義に優る力はない。ましてや菅首相が、小沢氏は無罪であると知りながら、脱小沢、小沢潰しを掲げるのは政権浮揚による不純な意図に他ならない。

小沢事件については弊誌222号(2009年3月12日)「小沢民主党の激震」で詳しく述べた。小沢氏の公設秘書である大久保隆規氏が逮捕された時点で「不正の根拠や事実は何も出てこない」と書いた。今後いかなる補充捜査が行われたとしても証拠がなければ不起訴になるしかない。小沢氏が最も力を注いできたのは、田中、金丸両先輩と同じ轍を踏まないという信念であった。

次回は3月3日(木)です。