山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     小沢潰しの茶番劇

2010年12月24日

民主党・小沢一郎元代表の政治倫理審査会への招致をめぐって岡田克也幹事長が小沢氏に出席を求める会談を何度も働きかけた。しかし、小沢氏は政倫審に出ても「次は証人喚問があるので司法の場で決着をつけたい」と述べた。これは仙谷氏ら党執行部による小沢排除劇に組しないものだった。

菅直人首相ならびに仙谷由人官房長官は岡田幹事長に小沢氏が「国会で決めたら出る」との言質を盾にとって出席を迫るよう指示。17日の岡田・小沢会談で、岡田氏は小沢氏が「国民に説明するのは政治的責任だ」と語った。小沢氏は近く強制起訴され、司法手続きが始まるので「刑事裁判の場で潔白を証明する」と突っぱねた。

最終的に小沢氏が政倫審の出席を拒めば党として証人喚問に踏み切り、小沢切りの口実としよう。しかし、党両院議員総会で議決されたとしても小沢氏は政倫審への出席は拒否すると強気の構えを崩していない。しかし、小沢氏は「首相と会う用意はある」と答えた。

民主執行部による小沢潰し

菅内閣と仙谷官房長官らの目的は小沢外しであり、小沢氏の除名と小沢グループの解体である。そのことを小沢氏はよく理解している。菅首相と仙谷氏の執拗な小沢氏への離党勧告や除名を匂わす発言は、自らの問責決議と重ね合わせた生き残り策だ。また、菅政権は小沢排除で政権浮揚を狙っている。

小沢氏側からみれば菅・仙谷氏らの政治判断は思いつきで説得力がないと馬鹿にしている。しかし、菅政権は支持率低下から脱却するため、小沢氏の「政治とカネ」問題を逆手にとって菅政権の政権浮揚に利用するしかない。仙谷氏は問責決議の可決で展望の見えない進退問題をぼやかし、世論を小沢氏の「政治とカネ」のクリーン化に誘導している。しかし、党内対立の激しさが増す中で、旧民社党系、旧社会党系、羽田グループ等中間派は執行部や小沢グループらと距離を置き始めた。

ましてや政倫審への招致議決は困難だ。自民党や公明党、みんなの党をはじめ野党は議決に応じないと言い、開催の目途すら立っていない。菅・仙谷氏の離党勧告は過半数にも届かないので不成立に終わる公算が強い。それなら次は小沢氏への証人喚問か党除名しかない。これも小沢氏の弁明、不服申立があれば最後は収拾がつかなくなる。

悪質で巧妙な捜査

そもそも、小沢氏をめぐる政治資金規正法違反事件とは何か。小沢氏は「一点もやましいことはない」と発言しているのだから司法の場で決着をつければよい。もともとこの問題は、西松建設関連の政治団体から陸山会への3500万円の献金が不透明と指摘されたのが発端だ。

これまで、政治資金規正法違反による強制捜査は1億円以上というのが検察内部の暗黙の了解であった。しかし、特捜部は小沢事件に限り、1億円未満の献金に対しても捜査に踏み切った。何らかの圧力があり恣意的な捜査による小沢潰しと見られても仕方あるまい。最近こうした検察による明らかな政治的意図を持つ悪質な強制捜査と検察官による不祥事が相次いでいる。

代表的な事件として小沢秘書の石川知裕・衆院議員が逮捕された陸山会の土地購入事件の捜査は極めてずさんなものであった。これは2004年に世田谷区の土地を約3億5千万円で購入したが、その代金の支出を同じ年の政治資金収支報告書に記載しなかったことが問題だというわけだ。これまでなら明らかに記載ミスで済まされてきたものだ。これは2005年に支出を記載し登記を済ませているが、そのズレを検察やメディアは突いているだけだ。

小沢事件は立証できるか

特捜は大久保秘書、石川議員をはじめ、小沢氏に二度も聴取しながら立証できなかった。本人は先述の通り、「一点もやましいことはない」と言っているが、小沢氏ほど刑事被告人になることを恐れ警戒した政治家はいないのではないか。筆者は弊誌で、大久保秘書逮捕から小沢氏の潔白性を指摘してきた。小沢氏をよく知る者ならこのような事件を起こす人物ではないと一様に判断できることだ。

つまり、いくら小沢氏を犯罪者に仕立て上げようと画策しても立証できる証拠がなくどうするのか。また、霞ヶ関や民主党執行部らは小沢氏が権力者になることを好まず、力でねじ伏せようとした仕業に無理がある。権力側の検察は小沢潰しの単なる先兵隊に他ならない。小沢氏は検察権力に正面から堂々と立ち向かう姿勢を見せているが、国民に人気がないのはメディアの権力操作が効いている。

特捜の権威は地に墜ちた

このところ、村木厚子・厚労省元局長の無罪判決があった。村木元局長は虚偽公文書作成、同行使容疑などで逮捕され、懲役1年6ヶ月が求刑されたが、大阪地裁は9月無罪を言い渡した。このように大阪地検特捜部の失態は相次ぎ、前田恒彦・元主任検事、大塚弘道・前特捜部長らの逮捕が重なるなど特捜の権威が地に墜ちた。

これまで「検察への信頼」は国民が信頼する正義であった。しかし、検察の小沢事件と村木事件とも世論を賑わした割には確たる立証もなく、共連れにされた感が強い。一方、検察は国家権力に刃向かう被疑者たちを犯罪者に陥れる機関に成り下がっている。つまり、小沢という標的を有罪であるかのようなイメージを作り上げて来た。

2009年の総選挙で小沢氏は候補者91人に4億9000万円を配ったのが問題だとしたが、原資は旧新生党の資金で政治資金収支報告書に出ている。それゆえ、その後問題とはなっていない。

立証できない小沢事件

小沢潰しは何度やっても結論は出まい。小沢氏は政治資金にはことのほか神経質であり、完全を期している。これまで検察が20日間にわたって徹底的な捜査を行い、物的証拠を立証しようとしたが、何も出てこなかった。何もないところに何も出てこないのは当たり前の話だ。政倫審に小沢が出頭して何を弁明するのか、さらし者にされるだけだ。これが政治的・道義的責任なのか。

大阪地検特捜部の不祥事は国民世論の不信を招き、存在が問われている。今後、特捜部は不要だとの声も広まるであろう。政治倫理審査会の実態は弁護士の寄せ集めであり、彼らは小沢叩きの延長という役割を担っているだけだ。政倫審をつくったのは小沢氏とされているが、これは税金のムダ遣いと同じだ。

今、わが国には仙谷政治をはじめ、特捜検事に至るまで、個利個略に走る非社会的な公共人が増えている。社会正義のために事件を解明し、摘発できる姿勢が見られない。罪もない政治家が失脚し、罪のある裁き手がぬくぬくと生き続けている。これでは社会はさらに劣化しよう。

検察の大改革を断行せよ

いまや相次ぐ不祥事で大阪地検特捜部への批判が高まりを見せている。最近の検察手法は事前に描いたシナリオを供述調書に自白させるという密室での取り調べは冤罪の温床となる。相次ぐ無罪の続出に、世論は捜査の全面可視化を求めている。

検察権力が弱い立場に置かれた人間を罪人に仕立て上げるという事件はこれまでにもたくさんあった。小沢事件をきっかけに特捜検察の大改革が問われてよい。検察が国家権力という最大の「暴力装置」を駆使して政治に介入してくれば、政治権力の自由と民主化は損なわれるばかりだ。証拠不十分で起訴された者は社会的信用を失い、政治家なら政治生命を失う。

検察が政治に力を及ぼせば特定の人物の政治生命を断つことが可能となる。小沢事件も霞ヶ関や米国に盾突く抵抗勢力に「邪魔者は消せ」と検察が動く。説明責任がないのは小沢氏ではなく、検察側だ。

20日、菅・小沢両氏が首相官邸で会談した。菅首相は「政治とカネ」の問題をめぐり政倫審への出席を強く要請した。小沢氏は「出る必要がない」と拒否。首相は「党としての方向性を決めなくてはならなくなる」と脅しの文言を加えたが、小沢氏は強制起訴による裁判が近付いているので出席はできないと答えている。

筆者は17日小沢氏側近の平野貞夫氏に電話を入れた。平野氏は「まあ、菅さんたちは無茶苦茶なことをやってますな。これじゃ、政党としての体を成していない。今こそ民主党は一つになって結集すべきじゃないですか」と述べた。

政治は権力争いの世界である。彼らは権力保持のためには手段を選ばない。しかし最後に勝負を決するのは王道であり、正義でしかない。道理に合わない主義主張や思いつきで政治判断すれば何の成算も展望も生まれない自壊政治に他ならない。

※この310号が本年最後のコラムとなります。2011年もよろしくお願いいたします。

尚、来年は1月13日(木)からです。