山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     政治家に求められる倫理道徳

2010年11月11日

10月17日、東京池袋のホテルメトロポリタンで台湾の黄石城氏の著書『権力無私』日本語版出版記念パーティーを開催。当日は台湾彰化同郷会関係者らを中心に約450名の参加者で賑わった。黄石城氏は台湾中西部の彰化県に生まれ、東呉大学法律科を卒業後、弁護士を経て彰化県知事、国務大臣、総統府国策顧問、中央選挙委員会委員長、世界華文作家協会会長などを歴任した。

 筆者と黄氏の交流は20年以上に及ぶ。黄氏は「権力は一時的なものだが、倫理、道徳は永遠である」という政治信条を持ち、口癖は「政治家は国民のために何ができるか」である。黄氏はいくつかの誘いもあったが、国民党にも民進党にも入党せず、無所属での政治活動を貫いた。

 黄氏は著書『権力無私』で、政治を行う者は無私(私心の無いこと)、誠心(まごころで誠意を尽くす)、公儀、謙虚な態度が大切だ、が持論だ。腐敗と堕落に蠢く台湾政界にあって、黄氏を「地獄に真っ白な花が一輪咲いている」と形容する人もいた。

実は台湾通の小沢一郎氏

 筆者と黄氏の関係は1992年、当時自民党政調会長の森喜朗氏、1993年当時新進党党首であった小沢一郎氏との会談をセットしたことに始まる。黄氏は、小沢氏が自民党支配の権限を持ちながら七つの小党を統合して新しい政党をつくり二大政党制を結成した理念と行動力に深い関心を寄せた。

 黄氏には、小沢氏は政治改革によって政界を浄化する政治家と映っていたに違いない。黄氏は小沢氏の持論である“二大政党制による政権交代”に深く共鳴し、政策の促進に強い関心を持った。

 黄氏は小沢会談の席上、李登輝総統の日本訪問に協力していただきたいと要請。小沢氏は「李氏の訪問を心から歓迎します」と述べ、「来日が実現すれば李氏が日本の政治的実力者や官僚たちにお会いできるようセットしたい」と約束した。意外であったのは小沢氏が台湾通であり、台湾の紹興酒がおいしいと披露したことだ。

李氏訪日推進活動は国民運動に拡大

 これがきっかけとなり李登輝総統の訪日実現への動きがわが国の支持層に広がりを見せた。筆者は、経済界で理解があるのは、最も台湾に理解のある清水信次ライフコーポレーション会長が適任だと考えた。清水氏は日台バナナ協会をはじめ、両国の貿易に精通した台湾通である。

 清水氏は毎週日曜日、休日返上で社長室で「李氏訪日」の趣意書作成に取りかかった。1994年7月末頃の猛暑の最中、筆者が清水氏の社長室を訪ねると、清水氏は個人的な仕事というわけで、クーラーもつけずにステテコとランニング姿で汗を拭いながら作業している姿に深い感銘を受けた。

 清水氏は各界各層を代表する約5000人を対象に「李氏訪日」実現のために往復はがきでの署名協力を積極的に呼びかけた。これによって続々と返信はがきによる署名が到着した。国民の反響は大きく、日本の政治家たちの間でも李登輝ファンが多いことに驚かされた。

李総統に「訪日歓迎」署名はがきを手渡す

 政治家では李登輝氏訪日と日台関係改善に積極的な姿勢を見せたのが森喜朗氏であり、台湾側の信頼も厚かった。筆者は森氏の子息である森祐喜氏を伴って森氏が近く訪台する旨を李氏に告げた。「李氏訪日」はわが国民の願いであり、各界各層が心から歓迎するとの風潮が世論を支配した。

 1995年3月21日、清水信次氏と筆者は当時国務大臣であった黄石城氏に付き添われて総統府に李登輝総統を訪ねる。そこには大きなトランクにわが国各界の代表者から届いた約2000通の「李氏訪日を歓迎する」という署名はがきがぎっしりと詰め込まれていた。

 李総統は清水氏の熱意ある行動に驚かれた。黄大臣から「これまでには相当な時間とお金がかかっているでしょうから、我々も負担したい」と言ったが、筆者は「清水さんはお金を受け取らないと思います」とお断りしたのである。後日清水氏は、「よく言ってくれて、ありがとう」と言った。結局、「李氏訪日」は総統在任中には叶わず、任期満了後、氏の心臓病治療のため突如訪日が実現した。

黄氏を京都に案内

 1993年、筆者の誕生日である8月15日、わが郷土である京都に黄石城氏親子を案内した。そこで黄氏から長男偉峰氏の紹介を受ける。偉峰氏は英国のオックスフォード大学で政治学博士号を取得した。偉峰氏の妻・何明蓉氏はハーバード大学を卒業、弁護士となる。偉峰氏の弟・國峰氏はロンドン大学で博士号を取得し、台湾政治大学教授を務める学者一家だ。

 京都では、筆者と親しい勝田吉太郎氏(京都大学名誉教授)らとも懇談した。また、同級生が経営する京都の名門旅館「柊屋」を紹介。わが国の伝統文化を理解していただく配慮であったが、黄親子は古い木造建築なのでいつ上から木が落ちてくるか恐怖でほとんど眠れなかったと聞き、申し訳ないことをしたと思う。

中国公使の抗議で6名の議員が訪台を断念

 話は元に戻るが、『権力無私』の日本語訳出版記念パーティーには10余名の民主党議員が出席してそれぞれが祝福の言葉を述べた。各議員らは、ほとんどの議員が会場を後にするなか、中津川博郷議員ら数名が最後まで残ったのが印象的だった。今や政界で台湾と言えば中津川氏の存在が大きくクローズアップされている。中津川氏の台湾に対する愛情の深さと熱意が際立っていた。

 話は少し脱線するが、平成16年3月、台湾2.28事件現場でのイベントと100万人の鎖といわれる台湾全土を人間の手でつなぐ一大イベントに筆者は中津川氏をお誘いした。これには民主党議員8名も参加したいとの申し出があった。

 しかし、われわれの動きを察知した当時の駐日中国大使館、程永華公使(現大使)と参事官が民主党国際部を訪れ、中津川氏ら数名の訪台について机を叩いて激しく抗議した。それゆえ申し出のあった議員のうち6名が訪台を断念した。中国は事あるごとに執拗に内政干渉を行ってきたが、こうした威嚇、恫喝は中国外交の常套手段だ。彼らの強硬な威嚇に6名の民主党議員はおそれおののき訪台を断念した。

公務員の基本行動とは

 しかしながら、その中にあって中津川氏の毅然たる態度はわが国古来のサムライ精神を彷彿とさせるものだった。中津川氏にも、「何か日台間の仕事をしていただきたい」と思うようになった。その後氏は「日台経済安保研究会」を発足し、日台間の様々な機関の重要な存在となっている。中国関係者によると、今では中津川氏に対する中国側の評価は高いという。

 台湾を愛する中津川氏と「権力無私」の黄石城氏の間には共通の価値観がある。中津川氏の行動力と黄氏との関係は後退する日台関係の太いパイプとなり、日台間の新しいドラマが生まれる前兆と期待したい。

 黄氏は決して目立つ存在ではないが、ひとたび行動を起こせば信念を曲げず、妥協せず、まっしぐらに目標に突き進むタイプである。彰化県知事時代は就任早々公務員に対して以下の基本行動を訓示した。一、公務員は法律を守る仕事であるから遅刻、早退は許さない。二、今日の仕事は翌日に持ち越さない。仕事の先送りや持ち帰りは許さない―と厳命した。それ以来、彰化県庁では効率的な公務を行うことができるようになったという。

スキャンダルの粗探しの暇はない!

 筆者が弊誌に黄石城氏を取り上げたのは、今わが国政治家に欠けている清廉潔白な政治姿勢を黄氏から学ぶことが多いと考えるからだ。黄氏は政治に入ってから、倫理、道徳規範に基づいて自らを律した。「道徳心のない権力者と富豪は尊敬する価値がなく、軽蔑すべき対象だ」と語る。

 政治が権力を乱用すれば政治と社会は混乱するが、自民党政治の崩壊は倫理、道徳的規範の欠落と権力の乱用による結果ではなかろうか。わが国政治は党利党略、個利個略がまかり通り、経済は企業利益を守るために何でもありの姿勢が国力衰退を招きつつある。

 わが国の党、派閥、政治家個人の政治姿勢に国家国益という視点がみられなくなって久しい。わが国政治が諸外国に媚びを売り、国益を損じて来たのは、本道から外れた個利個略の政治手法にある。黄氏は「民主政治は、人民が主人公であって、人民が国家の主人公である」と説いた。「一に人民、二に社会の安定が肝要である」が口グセだ。現今の政治状況を見れば「政治とカネ」を肴に政党間のスキャンダルや粗探しばかりでは何も前に進まない。国民と社会を無視した権力乱用が目に付く昨今である。

次回は11月18日(木)です。