山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     李登輝元台湾総統の講演

2010年08月19日

7月23日、弊会主催のもと有志の若手超党派議員8名は、日台協力委員会発足に向けて、李登輝元総統との話し合いのために訪台した。その際、「日台百年来の歴史及び関係」と題する講演が行なわれた。今回はその概要をご紹介する。

    李登輝元台湾総統講演資料
「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」

一、はしがき
 台湾と日本は西太平洋に位置する島国で、最も近い近隣であり、人的交流はもちろん、経済関係に至っては非常に密接な関係にあります。しかし共に内在的精神の了解に欠け、今日台湾と日本の文化交流における大きな問題となっています。今日は、台湾の立場に立ち、この百年来の両国の歴史発展を中心に政治と文化について、①日本植民地時代(1895年~1945年)、②国民党統治時代(1945年~1990年)、③1990年から現在迄~の三段階に分けてご説明します。

二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進
 日本は台湾を1895年から1945年迄50年間統治し、台湾を伝統的な農業社会から近代社会へ大きく変化させました。また、日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入しました。

 台湾製糖株式会社の設立は、台湾の工業化の基礎となり、台湾銀行の設立によって近代金融経済が採り入れられました。また、度量衡と貨幣を統一して、台湾各地の流通を早めました。1908年の縦貫鉄道の開通により、南北の距離は著しく短縮され、灌漑水路水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化に大きく一歩踏み出すことが出来ました。

 行政面では、全島に統一した政府組織が出来上がり、公平な司法制度が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新させ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました。

 また、日本は台湾に新しい教育を導入しました。台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出し、近代的な国民意識が培われました。1925年には台北高等学校、1928年に台北帝国大学が創立され、台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本の大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の社会変化は、日を追って早くなりました。近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。

三、台湾意識の台頭
 台湾人は新しい教育を受け、徐々に世界新思潮と新観念を抱くようになり、台湾人の地位が日本人に比べて低い事に気が付き、台湾意識が芽生えました。1920年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体を作り、選挙・自決独立など様々な主張をし、日本は台湾人に当然の権利を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主張は、日本の制圧によって成功しませんでしたが、台湾は台湾人の台湾であるという考えが生まれました。これが戦後国民党に対抗する理念と力になったのです。同じ頃、文学、美術、歌劇など台湾人意識を主体とする台湾文化が続々と生まれました。

四、戦後、国民党は「日本化」を抹殺し、「中国化」を導入
 1945年国民政府が台湾を接収し、「日本化抹殺」の政策のもと、台湾人に対し、日本語をしゃべるべからず、書くべからずを強要しました。日本語の雑誌、映画なども制限し、「日本化」を消し去ると同時に、国民党は中国人の観点による歴史文化を注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。

 台湾と日本の関係は1945年以後、急速に変わり、国民党の反日政策のため、台湾の若者は徐々に日本離れし、日本を知らなくなりました。日本が台湾を統治した歴史は、教科書には載らず、歴史学者も研究しなくなりました。日本教育を受けた先輩たちがおおっぴらに日本を語らないのは、国民党を恐れていたからです。
 
 国民党の大中華思想の教育のもとで、台湾人の気質にも変化が表れました。法の遵守・勤勉・清廉、責任感などの美徳は失われ、反対に中国人の投機性、法を破る、善悪転倒、賄賂特権の習性が強くなり、台湾人精神も失われていきました。

五、戒厳令体制と台湾民主運動
 1945年10月、国民党政府は台湾を接収した後、政治は腐敗、物価は高騰し、社会秩序は混乱を招き、1947年2月には二・二八事件が起こりました。国民党は中国大陸から兵を送り込んで鎮圧にあたり、台湾のエリート、民衆を数万人惨殺し、台湾人を恐怖の底に陥れ、台湾人の政治に関わる勇気を喪失させました。

 1949年5月、国民党政府は台湾に戒厳令を布き、暫くして中国大陸の内戦に敗れて台湾に退いて来ました。そして自らの政権を堅固なものにするため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂1950年来の、「白色テロ」と呼ばれるものです。国民党は更に「反攻大陸」を国策とし、独裁体制を作り上げました。戒厳令は38年間続き、1987年になってようやく解除されました。台湾人が如何に言論思想や結社の自由を剥奪されていたか、不安と恐怖の中での生活だったか、皆さんも想像できるでしょう。

 戒厳体制を打ち破るため、台湾のエリートたちは長い時間をかけ、多数の犠牲者を出し、倒れてもやまず、絶えず奮闘した結果、国民党も遂に譲歩せざるを得ませんでした。私、李登輝が台湾人として、初めての総統に就任してからの12年間は、台湾の人民の期待に沿うことが出来るよう、「民主化」と「台湾本土化」の政策を実行しました。先ずは、いわゆる万年国会を解散、終結させ、中央民意代表(国会議員)を全面改選しました。さらに、1996年には歴史上初めての人民による総統直接選挙を実行しました。その結果、「主権在民」の観念を徐々に定着させる事ができ、台湾人民は国民党の統制から離れて台湾主体の観念を持てるようになりました。

六、1990年後は台湾に新国家建立の潮流現る
 民衆の力こそ台湾を変える原動力です。この力は、台湾内部の政治構造を変えただけでなく、中国との関係も、過去の内戦型対立状態から国と国の関係に変えました。台湾は平等互恵の立場で中国と平和互恵の関係を樹立したいと思っております。

 多くの日本人が、中国の宣伝や脅しに乗って、「台湾は中国の一部であり、台湾は独立の条件が整っていない」と思っておられるようです。しかし、一度台湾に来られて台湾人の考えを聞き、活気溢れる台湾の社会を見て、台湾の自由民主を感じた方ならば、台湾人が何故、新国家を建設するのか、自ずと分かっていただけると思います。

 台湾は海峡を挟んで中国と向き合っていますが、それでも「台湾正名」(台湾の国名を正しくする)運動、「国民投票による憲法制定」、「新国家建設の主張」などを敢えて唱える活力を有しています。これらは台湾精神から来ています。台湾人は、質実剛健・実践能力・勇敢・挑戦的な天性の気質に加えて、日本統治時代に養われた法を守る、責任を負う、仕事を忠実に行うなどの精神を備えています。これが台湾人の長所であり、窮すればするほど強くなり、権威統治のもとでも、台湾人としての主体意識を確立することの出来る最高の精神なのです。

七、日本が台湾新国家建設の動力を理解してこそ、両国の未来関係が構築できる

 日本の若い世代は外敵もなく、内乱もない安定した社会で育ちました。生活は豊かで保障されています。その反面、危機意識がなく、改革意識も失われているようです。中国に対しては何も言えず、不公平や不義に対して胸を張って正す事が出来ないようです。昔の日本人が持っていた公に尽くし、責任を負い、忠誠を尽くして職を守る日本精神はどこへ消えてしまったのでしょう。これは日本の社会の最大危機です。

 この百年、日本統治時代と国民党時代を経て台湾人の主張は圧迫され続け、一度として台湾人が主人公となったことはありません。しかし、台湾人が長期にわたって犠牲を払った結果、1990年以後台湾は主体性観念を持つことが社会の主流となりました。日本の方には、この勢力が台湾の社会を変える力であることを認識していただきたいと思います。
 
 両国間の将来は台湾と日本の平等互恵関係の上に成り立ちます。台湾を中国の一部であると見てはなりません。日本と台湾は生命共同体なのです。即ち台湾なくして、日本はありえない。と同様に、台湾も日本なくしては存在しえないことを、じっくりと考えていただきたいのです。

※次回は9月26日(木)です。