アジア会議講演会

2014年2月24日 講師/倉山 満  国士舘大学講師

「満州事変の被害者は日本人だ」
満州事変は、いまでは保守派ですら、「日本が国際法を犯して自作自演で一方的に“侵略”した」という世界観一色に染められているが、そんな単純な構造ではない。

国際法での原則では、本当に悪いことをやった国はむしろ正当化に躍起になり、あいまいな部分は自国に有利なように導くのが常識だ。やってもいないことを謝る日本のやり方は論外で、日本は本当に正しいことやっていながら正当化できず、国際的な宣伝戦に一方的に負けっぱなしの状態が続いている。

満州事変は事変であって戦争ではない。さらに満州事変は日本の侵略にはあたらない。満州事変の背景には度重なる当時の中華民国の挑発、不法行為があり、それに対する関東軍の自警活動であった。<侵略>の原語<aggression>の本来の意味は、「挑発されないのに宣戦行為を仕掛ける」ことだが、日本では誤訳が定着し、本来の意味が伝えられていない。

伊藤博文は国際政治のリアリズムのなかで国益を追求。当時、日本は南満州鉄道の勢力圏は取る一方で主権は清国に残し、中国に国運を賭けて慈善事業を施した。満州事変は確かに自作自演ではあったが、現地の居留民の生命を守るために不可欠な自警行為であった。辛亥革命後、清国は崩壊し、中国大陸は強盗、殺人は日常茶飯事の無法地帯となったが、その中にあって満州だけが関東軍の指導によって治安が保たれ、移民が大量に流入するほど平和であったことがその証左だ。

日本は道徳的にみれば悪くないのに、国内の意思統一がなされず、国際社会に対する根回しもできていなかったことから被害者となってしまった。満州は当時の日本にとって死活的利害地域であり、安全保障上身を守るための“自存”の範疇だと国際社会に喧伝すべきであった。日本は当時の国際法の常識下においても侵略国とは認定されていない。日本は国際法上の権利をまもるために実力行使したのに過ぎない。

倉山氏は1945年以降戦争の定義も激変した背景、中華民国と満州国の実質的な違いや、清朝の復活を目指していた満州国最後の皇帝溥儀と、<五族協和>を目指した関東軍との対立などについて、知る人の少ない歴史的事実を提示し、列席者に多くの示唆を与えた。その後の質疑応答でも活発なやりとりが行われた。